間幕
侍祭を目指す者には例外なく試練が与えられます。
聖カピトーリナ修道院へと赴き、無事に戻ってくることがその試練の内容です。プロンテラ北部の森を東に抜けると、この修道院へと辿り着くことが出来ます。少し歩く必要がありますが、さほど遠いという距離でもありません。往復しても一日とかからないでしょう。しかしこの森には厄介な植物が居ることで知られています。この危険をどうやって回避するか、ということがこの試練で身に付けるべきことです。
申し遅れました、私はプロンテラ大聖堂、そして神に勤める一、司祭です。名を名乗るほどの者でもありません。見て判るように、聖職者に志願する者の受付をしております。
今日も一人、赤い髪の元気な女の子がここに試練を受けに訪れました。
確か名をクリスティーナ・オクトハイムと言っていましたか、商店『幸運』の店主の娘さんでしたね。度々ここの聖堂にも訪れるいい子ですし、彼女には是非この試練に合格して欲しいものです。いや、きっとあの子ならやり遂げることでしょう。
神よ、クリスティーナに導きあらんことを・・・
第一章 第二節
さあ歩き出そう 歌を謡いながら
右手に勇気 左手に希望を持って
さあ進んでこう 声を高らかに
時に涙を 時に微笑みを浮かべながら
光の中も 闇の中も
迷い無く 突き進めるから
木々の間から日光が差し込み、深緑の世界を照らす。時刻は正午を回った頃か、日は高く昇っている。暖かな風が木々の香りを運びながら流れてゆく。とても穏やかな森の午後。
その深緑の世界に、一人の少女が姿を現す。赤い髪を肩の所で揃えた、活発そうなイメージの少女:クリスティーナである。歌を明るく口ずさみながら、クリスは森の中を行く。
「少し暑くなってきたかなぁ・・・」
額に浮かぶ汗を拭いながら、クリスがそう呟く。
日はまだまだ南へと昇る。これから、ますます暑くなりそうだ。
「もうそろそろ気を引き締めないと・・・マンドラゴラの生息地に入っちゃうもんな・・・」
マンドラゴラ―――言うまでも無いが、凶暴な植物の一種である。
植物の中でも珍しく肉食で、蔦を巧みに操って人を狙うことも多々あるので、注意することが必要な、いわゆる魔物である。聖カピトーリナ修道院への道はすべてこの森を通るしかなく、その森の一帯にはこのマンドラゴラも生息しており、迂回出来ない様になっている。
それ故に侍祭への試練にはもってこいなのだが、下手をすれば命を失いかねない危険な試練なのである。故に、一人程ならば護衛をつけることも一応許されている。
何故ここまで危険な試練なのか?と問いたい人も多いはずだ。しかし聖職者となって不死者の浄化に当たる事はこれ以上の危険を伴う。生半可な腕前と精神では、聖職者その他の冒険者には成れないのである。
「多分私の腕前じゃ勝てないし・・・上手く逃げ切れればいいかな」
植物なのが幸いして、蔦の届かない場所まで逃げればあっさりと逃げ切ることが出来る。
クリスは元々俊敏で運動なども得意なので、逃げ切る分には有利だろう、そう考えたのだ。
と、そこに
「くっ・・・!」
目の前の木々の間から転がり込んでくる一つの人影が。同時に金属製の重い鎧がじゃらりと音を立てる。恐らく剣士のそれだろう。予測通りその人影は青年の剣士の様である。
「大丈夫ですか!?」
クリスは思わず剣士の許へと駆け寄る。剣士は素早く立ち上がりつつ、握り締めていた剣を木々の方向へ向ける。
まだ敵がその先に居るのだろうか―――しばしの沈黙・・・。
無意識のうちに手が腰の短剣に伸びる。
「ふう、なんとか逃げ切れたみたいだ・・・」
青年は安堵の息と共に、剣を腰に下げている鞘に収める。ふと青年がクリスの方をみつめる。その銀色の長髪と美しい相貌に、思わずクリスはどきりとしてしまう。
「・・・君は?この一帯は知っての通り、危険なんだけど・・・」
「えっと・・・私、これから修道院まで行かなくちゃならないんです。侍祭になる為の、試練なんですよ」
苦笑しながらクリスが答えると、青年はまるで事態を把握していたかの様に頷いた。
「なるほど、聖職者に志願するんだね。僕は君達みたいな聖職者に志願する人の為にと思って、マンドラゴラの駆除をやろうとしてたんだ。でも、予想外に厄介だってことを、身をもって経験させられたよ・・・。」
どうやら最近噂になっている魔物の凶暴化の所為だろうかとクリスは考えた。聞いた話によると、魔物の力や知性が増加していたり、中には魔法などを使用するようになった魔物も見つかったらしい。
「さっきなんてね、足元にマンドラゴラが隠れていたんだ・・・いきなり不意打ちを食らっちゃってね、痛たたた・・・」
そう言って胴元を押さえる青年をクリスは心配そうに見つめた。
「あの・・・大丈夫ですか?」
「ああ。ただの打撲だから、すぐに治るよ」
幸い軽症らしい。青年を気遣っていたクリスはほっと胸を撫で下ろす。
「ふふ、心配してくれてありがと。・・・自己紹介がまだだったね、僕の名前はアルフォンス・アークライト。アルって呼んでくれて構わないよ」
にっこりと人懐っこい笑みを浮かべる青年:アルフォンス。対してクリスもそれに倣う。
「私はクリスティーナ・オクトハイム。みんなクリスって呼んでるわ」
アルは頷くと共に歩き始める、それは修道院の方向だった。クリスもアルに並んで歩みを再開する。
「危険だからね、僕が護衛に付こう。少し頼りない剣士だけどね」
「え・・・あの、構わないんですか?」
緑を含んだ風が木々をささやかに鳴らす。自然あふれる風景の中を歩きながら、二人の会話は続く。土を跳ねる野兎や木々に張り付く幼虫達が二人の存在に気付き、逃げるように離れてゆく。
「うん、始めからここに来たのは君みたいな聖職者を志願する人の為だったからね。せめて君一人だけでも、力になりたいんだよ。君がそれを拒むのなら、仕方ないけどね」
「そんな、私は大歓迎ですよ。・・・わざわざありがとうございます」
「いやいや、礼は活躍出来た後でいいよ。もしかしたら僕の方がヘマをやりかねないからね・・・。護衛にしては情けない台詞だけど」
そこで互いに笑い合う。互いに明るい性格の様で、会話はスムーズに進行した。
「それじゃ、護衛は僕に任せて」
「ええ、貴方にお願いしますね」
その後暫くは平和な時が流れた。このまま順調に修道院まで辿り着ければいいのに、という願いは、二人ともに同じだった。
既に日が昇ってから二時間程経過した頃か、木々の量が少しまばらになり始め、修道院までの距離は随分と短くなってきた。ごつごつした岩がたまに見えるのは、北にミョルニール山脈がある所為だろうか。例えるならば、風景は森と山の間といった感じである。
日陰に入れば涼しい風が吹き込んで心地よく、日向に出れば燦燦と輝く太陽の恩恵を受けることが出来る。
「もうそろそろマンドラゴラの生息域を抜けるよ・・・疲労も溜まってきたと思うけど、ここを抜ければ一息つけるから、頑張ろう」
「うん、このまま無事に辿り着ければいいね」
二人の額には共に汗が浮かんでいる。ずっと歩き通しなので仕方の無いことだが、互いの表情にも疲労の色が見え始める。
―――言わば、狙い時であった。
突如、二人の足元に何か細長いものが飛び出した、それはよく見れば植物の蔦だった。何の植物の蔦なのかは、口に出さずとも分かるだろう。
「くそっ、また不意打ちか!!」
即座にアルが剣を抜く、同時に居合いの要領で目の前の蔦を数本、切り裂く。クリスも短剣を抜いて蔦に切りかかるが、武器が武器なので効果的に蔦を切り落とせない。逆に危うく蔦に腕を絡め取られそうになる。互いに背を合わせながらの防戦が続いた。
「何て数なの!?」
目に見えるだけで十数本もの蔦が目の前で蠢いていた。少なくとも蔦を地中に潜めていた魔物―――マンドラゴラの数は三匹を超えているだろう。
・・・この状況は余りにも危険だ。アルの顔に焦りが見える、このままでは逃げるにも、攻めるにも、余裕が無さ過ぎる・・・ならば。
不意にクリスは背後から跳ね飛ばされた。地面を引きずりながらに見えたのは、マンドラゴラの触手を一身に引き付けたアルの姿だった。この時点でクリスは悟った。私を逃がすために彼は私を跳ね飛ばしたのだ、と。
「アル!!」
「クリス!君だけでも逃げるんだ!」
アルがクリスの方に意識を傾けた瞬間、隙を突いて触手がアルの四肢を捕らえた。ぐっと彼の四肢に上向きの力が加わる。持ち上げられてしまいそうだ。
「くっ・・・!こいつら、まさか・・・?」
クリスは周囲を見回した。まさか、岩を利用して・・・嫌な予感が頭を過った。
すぐ先にごつごつとした岩が一つだけ見えた―――投げつけるならここが一番、効率がいい・・・させない、それだけは。
案の定アルの体は蔦のしなりによって岩の方向へと投げ飛ばされた、とてもではないが、速い。クリスは一生懸命に岩の方向へと走った。なんとかして岩との激突を避けさせないと・・・思わずグロテスクな想像をしそうになり、必死にそれを振り払う。
走るクリスの頭上を越えてアルが落下を始める。クリスと岩の距離は、まだ詰まりきれない。
・・・間に合わない・・・。
(神様・・・!!)
クリスは走りながら、もはや祈ることしか出来なかった。
―――刹那―――
奇跡は起こった。
クリスは落下するアルの体に飛びつき、抱き付いたまま地面へと落下した。幸い岩への衝突は免れ、二人共に大事は無い。
一瞬のうちに何が起こったのか理解出来なかった。それほどまでに、必死だった。
すぐに二人は起き上がる。再びうねりながら迫り来る蔦。
アルがクリスの前に出て両手で剣を構える。クリスの方を見もせずに、彼は言い放つ。
「クリス、僕から離れるな」
言われるまでも無く、クリスはぎゅっとアルの背中にしがみ付いた。
足元から数メートル先の地面が膨れ上がり、何かが顔を出した。初めて目にする、マンドラゴラの本体が三つ。それはウツボカヅラの袋をただただ大きくしたような、とても醜悪な外見の植物だった。更にそれには数本の蔦が付いている。
どうやらさっきの攻撃でアルが気絶もしくは即死したとでも思ったのだろう、しかし現実と予想が食い違い、マンドラゴラ達は急いで地に潜ろうとする。
「この距離なら・・・届くッ!!」
ドンッ!!
アルがそこに剣を叩き付けると同時に、そこを中心として熱波が広がる。
マグナムブレイク―――闘気を地面に叩き付け熱波として拡散させ攻撃する剣士の範囲方剣技である。クリスにとっては初めて目にする剣技だった。
蔦がのた打ち回り・・・やがてその動きを止める。
「ふう・・・っ、クリス、まだ動ける?」
「うん、私は大丈夫・・・アルの方こそ、大丈夫?」
「ああ、早くここから離れよう、すぐに生息域を出られる筈だから・・・」
共に額にびっしり張り付いた汗を拭う。まだ安堵するには早い、二人は森の中を東の修道院へと駆け出した。
「ここまでくれば・・・もう大丈夫・・・」
アルがそう言って、ようやく二人の足並みは緩やかなものになった。
「えへへ・・・一先ず安心・・・だね」
息も切れ切れになりながらクリスは微笑む。思わず座り込みたい欲求に駆られるが、目にうつった風景を見て、思いとどまる。
「あ・・・」
高く聳える木々の間から白い建物―――聖カピトーリナ修道院が見え始めたのだ。
アルの方もクリスに続いてそれに気付く。随分と長かった道のりに思えるのは、この疲労のせいだろうか。そう考えてふとアルはクリスの体を心配した。クリスにとっては余程大きな疲労に違いない・・・。
「・・・休憩しなくっていいのかい、クリス?」
「うん・・・修道院についてから、ゆっくり休むよ・・・」
クリスの額は汗でびっしょりだったが、それでも彼女の表情には、暖かな微笑みが浮かんでいた。どうしてここまで暖かい微笑みが出来るのだろうかと感心してしまう。そして、必ず彼女は立派な聖職者になれるとも、確信した。
二人の呼吸も、少しずつ緩やかになってくる・・・涼しげな風が二人の髪を撫でた。
「さっきはありがとうね、アル」
「・・・怒らないのか、クリスは?」
咄嗟に自分の体を投げ出して、その上危うく死ぬところだったのだ。無謀にも程があった・・・とても護衛らしいとは言えない行動を、アルは悔やんでいた。
「・・・ちょっと怒りたくもあるけど、それ以上に、アルが私の為に自分の命まで投げ出そうとしてくれた事が、私には嬉しくって・・・」
俯きながら、恥ずかしそうに返答するクリスのその一言で、アルの心はすうっと軽くなった。
「そうか・・・そう言って貰えると助かるよ。ありがとう、クリス」
「えへへ、どういたしまして」
互いににっこり微笑む。それはお互いに自然な、微笑みだった。
「そういえば私、アルが放り投げられた時に、どうやってアルの許まで間に合ったのか分からなかったの・・・とてもじゃないけど追いつける距離じゃなかったから」
「え・・・?」
「間に合わないって思って私、思わず神様に助けてって祈ってた。そうしたら・・・どうしてだろうね、アルの許に間に合ったんだ・・・私あんなに、速くは走れないのに・・・」
クリスは本当に不思議そうな表情でそう口にした。思わずアルは笑いそうになったが、本人に可哀想なのでなんとか表情に出すことは避けた。
「おめでとう、クリス」
「え?え?」
やはり気付いていない、聖職者を志願するのに、神の恩恵にさえ気付かないなんて・・・思わず苦笑してしまう。
「どうしておめでとうなの、アル?」
「君は神の恩恵を受けたってことだよ、それも速度増加の恩恵」
「・・・あっ、そうだったんだ!!」
ようやく気付いたらしく、ポンと手を打つクリスの姿が余りに可笑しく、ついつい口を押さえながらも笑ってしまう。笑いを堪えるのは体に毒だ、とアルは実感した。
「もう、笑わないでよ」
「いや、ごめんごめん」
拗ねたように口を尖らすクリスに一応謝る。顔はまだまだ笑ったままだが。
ようやく木々の間から、目前に白い建物が姿を現した。
「やっと入り口が見えてきたね・・・」
「ああ、思えば長かったね」
目的地にようやく辿り着けた嬉しさか、クリスが修道院の方へと駆け寄っていく。
と、くるりと体を回転させてクリスがこちらの方を見つめる。
心地よいそよ風が、二人の間を吹きぬける。
「今日は本当にありがとう、アル」
「こちらこそ、ね」
恥ずかしさを隠す様に体をくるりと元の方向へと向け、走ってゆくクリス。
それをにこやかに見つめるアルの頬に、若干の赤みが差した。